今日は何の日?
美少女ゲームの日です!
皆さんは何を購入されましたか?
僕はもちろん『月に寄りそう乙女の作法2.2 A×L+SA!!』。
ご飯食べてうつらうつらしていたら、インターホンが鳴りました。
「○○配達です。アキバソフマップさんからです」
僕はご主人が帰って来た時の仔犬のごとく玄関にダッシュした。
そう、届いたんですよ! あのゲームが!
自室に籠もってゲームをせず、こたつでゴロゴロしていたのは移動の手間を減らすため!計画通りだったのさ。たぶん。
さて。
いい加減このシリーズ終わってくれ…と前作の2.1で思ったものですが、ルミねえのFDじゃ買うしかないよね! ーーたとえ今月の書籍代のほとんどを使い果たしたとしても。
個人的には、エイプリールフール企画の1.1がゲームとして収録されたことをパッケージで知って、驚きつつも嬉しくなったりしたのですが、2.2の本編クリアしてからじゃないと解放されないってどういうこと!?
……どういうこと?
ええ、そうですとも。2.0の再プレイ終わってないんです。どうせなら、エスト√の途中で1.1の動画を見て、そのままエスト√をクリアし、それからサクリ√とルミねえ√をやろうと思ってたんですが。間に合わなかったよ……。
睡眠時間は頑張って削っているのだけどね!
FGOのクリスマスイベもあるし、時間が足りない!
クリスマスイヴになったら、エレちゃんがカルデアに来てくれるようもう一度祈願(まわ)すんだ……。
もしもエレちゃん来たら、FGO一部七章のレビュー書く。
2017年12月の目標
とりあえず、数日以内に『化物語』のエントリは書きあげたい。
それから、『ねじまき鳥クロニクル』は最低限読み切りたいし、『つり乙2FD2』のために、『つり乙2』のルミ姉√と朔莉√をクリアしたいし……てか、今調べたけど『つり乙2FD2』ってアトレ√あるのか! いや、どうなんだこれ…。たぶん、アトレが朝陽好きなこととか、才華に協力することの起源にまつわる話があるんだろうなーとは思うけど、もういい加減このシリーズ畳んで欲しい…面白いんだけどさ! でも、シリーズの新作出るたびに買わなきゃいけない気がしてくるこのビョーキは、自分じゃどうしようもないので本当やめてほしい。それに、つまらなかったと失望するのは嫌だし。とはいえ、シナリオ安定してるから楽しみだなあ。さすがに『つり乙0』を超えるカタルシスは難しそうだけど…。
あとはFGOか。終局のシナリオ、まだ読んでないけど、ねじまきとつり乙2だけでいっぱいいっぱいなんだよなあ。かといって、1.5部やる気分でもなし。クリスマスイベント次第で変わりそうな気がする。ああ、そうだ、一部の六章、七章のレビューはあげたい。
劇場版『傷物語』一気に観ました。
尺 ☆☆
テーマ ☆☆☆☆
余韻 ☆☆☆☆☆
『化物語』上下は高校生の時に読んでいたのですが、それ以降は読んでいませんでしたし、アニメも後回しにしていましたが、友人が流してきた上記のMAD観てたら無性に観たくなったので、FGOのセイレムやってる友人の傍らで観てきました。
『化物語』よりも時系列的には前の話。こよみヴァンプ、という副題が示す通り、これは阿良々木暦の起源にまつわる物語です。 この前にテンポの良すぎる動画を観ていたため、一章は正直、冗長に思えました*1。でも、三章まで観たらもう本当やるせなくてね…。
大まかな流れとしては、高校に入ってから勉強についていけず、友達もつくらない男子高校生が、四肢を切断された吸血鬼の美女と出会い、死ぬつもりで身を差しだしたら、彼女の眷属にされ、代わりに四肢を取り戻すために吸血鬼ハンターたちと戦うことになり……というもの。
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暦くんって、『fate/stay night』の主人公・衛宮士郎とやっぱり似ている部分ありますよね。 ただ、暦くんの方が共感しやすいと思います。
もちろん、士郎の在り方……もっと言えばエミヤの在り方が美しい、というのは分かるんですよ。 あのパセティックさってすごく胸が締めつけられます。士郎の起源、というか在り方の核って大別すれば三つ(セイバー含めれば四つですが、それについては今回省略)あるんですよね。
ひとつは、あの地獄のような中で、切嗣に助けられたこと。助けたのは切嗣だったはずなのに、誰より救われたような顔をしていたのは切嗣だった、という描写は幾度となくリフレインされています。
次に、なぜ自分は生き残ってしまったのだろう、という一種の罪悪感。いわゆるサバイバーズギルトってやつですね。 あの時死んでいたのは自分だったかもしれない。なのに自分は救われ、日常を生きている…。
…士郎が、自分が幸福を享受することは間違っている、とまで考えていたかはわかりませんが、この罪悪感から逃れたい、という切実さは痛いほどわかります。
そして三つ目は、身体も心もボロボロになっていた切嗣が、幼い士郎に語ったこと…正義の味方になりたかった。期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。そんなこと、もっと早くに気づいていればよかった。
それに対して士郎は返します。だったら俺がなってやるよ、と。その後、切嗣は静かに息を引き取ることになります。
これ、すごく綺麗なエピソードなんですけど、同時に呪いめいていますよね。約束を守ろうとしようと生きる。 しかし、正義の味方になることって、切嗣が行き着いていたように、不可能なんですよ。原理的に。誰かを救うという事は、誰かを救わないことを選択するという事。全員は救えない。じゃあ、救えなかった人たちは蔑ろにしていいの?と。
また、『fate/stay night』で突きつけられる、正義をなすには悪の存在が必要だ、という指摘。 なぜ正義の味方になりたいのか? ――救われがたい自分を救いたいから。
そう、切嗣にせよ、士郎にせよ、自己救済の手段として正義の味方になろうとするのですよね。 そしてさらに、士郎の場合は、切嗣の夢に憧れて、という側面があるので、自己救済を果たすための生き方としては、より歪んでいるんですよね(歪でありながら美しいもの、というのは存在します) 。自分の問題と向き合わずして、たましいの救済はありえない。それをこれでもなく抉ってくるのが言峰神父です。 正義の味方はかっこいい。しかし裏には自己救済を果たしたい、というエゴがある。
けれど、たとえエゴが裏にあるとしても、エミヤや切嗣のように、ひとつの信念を頑ななまでに守ろうとする在り方ってすごく美しいですよね。 なまじ手段が間違っているだけに、目的が果たされず、打ちひしがれる……そういうパセティックさに僕は非常に萌えます。それまでの努力が報われることそのものではなく、打ちひしがれながらも信念を貫こうとする在り方がね。。。すごく心をかき乱されるんですよね。マゾヒスティックですが。
さて、前置きが長くなりましたが、そんな士郎くんに比べると、暦くんの在り方って、よりエゴが剥き出しになっているんですよね。 〇〇したい、とか、自らに立てた誓いを遵守するというプラスの意味合いではなく、見て見ぬふりをすることができない不器用な生き方です。だからこそ人間らしいのですけども。
『化物語』なんかでも、「お人好し」というフレーズが何度となく出てきますが、それってちょっと違うと思います。 彼は、優しいから人助けをするんじゃない。人が困っているのを見て見ぬふりをすることができないから、人助けをしようとする。 お節介、余計なお世話、ありがた迷惑。他人を想うから動くのではなく、自分がそうせざるを得ないからそう動く。 もちろん、救われた彼女たちは感謝しているため、「お人好し」と暦くんを見るのですけども、本質ではない。
そんな、「お人好し」の暦に共感するかどうかはさておき、誰にでもあると思うのですよね。 間違っていると分かっていてもやめられないこと。 もっと冴えたやりかたがあるとは知っていても、とってしまう不合理な行動。 それでも、生きていこうとすれば、そんな自分と付き合っていかなくてはいけない。そんな自分を変えようとすることは、非常に難しい事です。 限りなく不可能に近い。頭でわかっている程度じゃ、とてもなおすことはできません。年単位、もしかしたら一生かけて日々変えていこうと努力しつづけなければ。 ――たった一日二日でなおるようなものではありません。それ故に、自分を変える、というのは難しい。海の波を消すことくらいには。
えっと、『傷物語』に話を戻します。
キスショットが四肢を取り戻し、次は暦が人間に戻る番、となった時、祝杯を上げるために買い出しに行き、帰ってくると、彼女が人間を食べていました。 そう、吸血鬼とはまさしく鬼。血を吸うだけでは飽き足らず、人を食する生き物だったのです。
ここで暦は気づきます。 吸血鬼ハンターたちは、人間側の正義だったのだと。 良かれと思ってキスショットを助けたわけですが、彼女が生きるということはすなわち、誰かが彼女に食べられてしまうということ。 彼女を生かすことは、誰かを殺すことなのだと。 その誰かが、大切な人だったとしても、暦は文句を言えない。家族だろうと恋人だろうと友達だろうと。彼らを殺すことを選択したのは他ならぬ暦なのだから。
キスショットを生かすのは、美しくはあっても、正しくはなかった。 それでも彼はキスショットを殺すことができませんでした。たとえ、そこに関わった人たち全員が不幸になる選択だったとしても。 暦は完全な人間に戻れず、人間は吸血鬼に殺されるリスクを背負い、キスショットは死なない程度に、ペットが去勢されて飼われるように、限りなく吸血鬼の力を奪われる。 全部、暦のエゴです。それを自覚しながらも、「人助け」をせざるを得ない。見て見ぬふりができない。度し難いほどに愚かでも、不合理でも、そうしなくては「いけない」。
これを業といわずして何と呼ぶのでしょう。 しかしそれを誰が咎めることが出来るのでしょう? 暦は「人助け」、という業(カルマ)を持っていましたが、かたちが違うだけで、程度が違うだけで、誰だって持っているはずなのです。 それが社会的に許容できる範囲ならば、目立たない程度ならば問題とはされないでしょう。
しかし、反社会的な、道徳にもとる、法律から逸脱してしまうカルマを持って生きていかざるを得ない人たちは、どうすべきなのでしょう?
異常だから排斥されなければいけないのでしょうか。 ただ、常識の枠内に収めきれないものをかかえているだけなのに?
「一般的な人」は、自らの業が常識の範疇にあるだけで、カルマそのものは誰しも抱えているのに? 社会的な正しさを笠に着て、相手を見ようとしないことが人間的であるというのなら、そんなヒューマニズムこそ間違っていると、僕は思います。
最近、物語はなぜ――作家にとっても読者にとっても――必要とされるのか?という問いを立てていくつかの本を読んでいて、このカルマ、というのはすごくキーになる気がするのですよね。僕は実存を、生きがいというニュアンスで捉えていましたが、不合理でありながらもとってしまうような行動、思考、習慣というものもあるのかもなあ、とこの作品を観て思いました。
並行していくつか読みながら、行きつ戻りつしながら読んでいるので、どうしても個別のレビューというのが難しいので、ついついブログの更新が滞ってしまいがちですが、出来るだけ言語化していきたいです。
*1:バトルシーンはすごく好き。ピッチングでやっつけるところは燃えるべきか笑うべきか反応に困りました^^;)
ユージン家
友人の家に遊びに行って、動画やらアニメを観てきました。
一番心を強く揺さぶられたのは『傷物語』『化物語』なのですが、そちらについては長くなりそうなので別のエントリとして書きたいと思います。こちらでは、それ以外の諸々についてメモ。
そんなわけでざっくり紹介。
①水の飲み比べ
といっても、自分の味覚に絶対的な自信がある、というわけではなくて、むしろ修行の一環です^^;
テイスティングノートは、一般的に正しいかどうかよりも、きちんと自分の感じたものを言語化し、記録することが重要だと思っているので。
今回は、Volvicとevianの二本。
伊藤園 Evian(エビアン) ミネラルウォーター 1.5L×12本 [正規輸入品]
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どちらも日本のものではなく、フランスのものです。
ラベルにはどちらも軟水と書かれていたような気がしますが、wikiにはエビアンは硬水と書いてありますね…まあいいや。
まずはVolvic。
いつも飲んでる水道水に比べて、まろやかで、舌の後ろ側に苦味を感じます。
次にevian。
Volvicに比べ舌の後ろよりも前側…舌の中間あたりで苦味を感じ、しょっぱい気がします。ニュアンスとしては、生理食塩水を希釈したような感じ。もちろん、海水のように喉がひりつくようなしょっぱさではなく、あくまでそういうニュアンスです。
所感、水って思ってた以上に結構違いが出ます!
僕がミネラルウォーターを初めて飲んだのは、小学生のころで、父が車に乗せていたものでした。正直、美味しいとは思えなかったんですよねぇ……
当時住んでいたところは、確かカルキ入りではなく川から引いてきたものだったので、贅沢なことにのも水道水自体すごく美味しかったように記憶しています。今住んでいるところは、上京していたころの水道水よりは多少マシとはいえ、カルキ臭の強い水なので、正直飲むたびに不味いなあと内心毒ついてます(苦笑)
そんなわけで、僕はミネラルウォーターよりも、水道水が好きで、それより濾過した水の方が好きです。いろはすは、かなり飲みやすかったように記憶しているので、今度また飲み比べてみようと思います。…よし、自分好みのミネラルウォーター探すぞー!
②白ワインのテイスティング
友人の家に行くとき、いつもは赤ワインを買っていく(もちろん安物だけど)のですが、今回は珍しく白ワインにしました。
前回遊びに行ったときは、ボジョレーと、アルパカの赤*1を選んだのですが、どちらもおいしく感じなかったんですよね。
なのでおそらく、羹に懲りて膾を吹くように、無意識に赤を避けてしまったのでしょう。で、選んだのはこちら。
外観は省略。ただ、色が比較的濃かったことだけは明記すべきでしょうか。
さて、香りですが、正直これ、よーわからんかったんですよね(笑)
何回か嗅いだことのあるアロマなんですけど、どうにも思い出せない……芝生を刈った、とは異なる感じのハーブ系だと思ったのですが。。。
うーん、赤ばかり構っていたせいで、白のアロマすっぽ抜けてるなあ。
つっても、繊細な香りを嗅ぎ分けられるほどのレベルに達していないので、特徴的な香りしかまだわかりませんけどね!
まあいいや、次は味ですね。めっちゃ酸っぱいです。系統としては苦味もあってグレープフルーツっぽいんですけど、あまりに酸っぱいのでレモンに近い。
果実味も結構強いのですが、酸味にすべて持っていかれましたw
まとめると、このワイン、一口目から酸味のインパクトがあって個性的です。それだけに、肴もなしにボトル丸ごと飲むのは正直しんどかったです。果実味も苦味もしっかりしているのですが、酸味が強すぎて、舌全体で転がすような丁寧なテイスティングを一本丸々しつづけるのはえらい疲れます。何か食べものを合わせるにしても、生臭さを強調してしまいやすそうなので、魚介類を合わせるのは厳しいでしょうね^^;
逆に、揚げ物なんかとはすごく合いそう。あるいは、塩気の強い燻製に、それらの味の濃さを和らげるためのノンソルティなラスクを添えてみたり。
パリッと焼いたソーセージなんかもいけるかも。
まあ、マリアージュ理論は知らんので、完全に思い付きで書いてますが。なんで、『合わせてみたけど不味かったじゃないの!』という抗議をされてもこまります。
いつか合わせてみたいなあ、という妄想なのでね!
③アンダーテール
https://www.youtube.com/watch?v=vVv_-_fXPc0
最初、友人に流された時、あれ?歌は?え、ゲームミュージックかよ!と肩透かし喰らいましたが、歌無しとして慣れるとすげえかっこいい。
でもってこっちはゲーム――の実況。
どうやら外国だとポケモン並みに売れてるゲームらしいですね。
寝不足に加え酔った頭だったので、ざっくりとした理解ですが、舞台は剣と魔法的な世界で、モンスターたちを地下深くに閉じ込めた、という歴史のある世界。
主人公はひょんなことから地下世界に落ちてしまい、そこに現れるモンスターとのやり取りや、謎解きをしながら探索していくゲームです。
戦闘システムは、ドラクエやポケモンみたいな画面に、ゲーム内ミニゲームというべきか、弾幕ゲーによる防御ターンと、ルーレット的なゲージの攻撃ターンがついてくる感じ。といっても、バトル以外にもいちゃついたり、ほめたりと選択肢が多彩なのが面白いところ。
そして何よりこのゲームの最大の魅力はそのシナリオ!
キャッチコピーからして「誰も死ななくていいやさしいRPG」ですよ?
『まおゆう』で正義の物語は、ひとまず行くところまで行った感ありましたが、それってやっぱりドラクエなどのRPGがベースとなり、ゲーム的ファンタジーという属性*2が典型になったわけですよね。Web小説――主に、なろうの異世界転生/転移ものなんかもその流れというか。
現代的な正義をテーマに据えつつ、多くのジャンルのゲームをまたがってそれをまとめ上げているのが、非常にグッとくるものがあります。RPG、というとレベルを上げて戦う、というのがフォーマットとなっていますが、むしろこのゲームはその前提から見直している。リソースを大量につぎ込んだ超大作なのではなく、あくまで枯れた技術の水平思考の産物。無論、ゲーム性そのものを見直す動きはあるでしょう。switchやらスマホがありますから、その市場で勝ち抜こうとして、くぐり抜けてきたものは、何かしらその作品固有の良さがあるはずです。
しかし、それが果たしてシナリオとシナジーを発揮するようデザインされたものがどれだけあると言えるでしょうか?
ゲーム業界でナラティヴという用語が何となく用いられていますが、シナリオの双方向性だけがゲームの良さではないと思います。むしろ、名作と呼ばれるものほど、ゲームと呼ばれる物語形式に自覚的なはずで、より立体的な面白さを求めようとするなら、物語のテーマと、その媒体固有の語り方は綿密に絡み合ったものを作るべきだと僕は思います。
断じて、ストーリーが蔑ろにされるべきではない。ゲーム性による直感的な面白さ、テーマが掘り下げられた脚本に、感情移入しやすいよう設計されたロールプレイのデザイン。それらをテーマの元に束ね、絡めることによって上質の物語がつくられるはずなのです。もちろん音楽やグラフィックもそこに加わります。
まずはコンセプトありき。作品におけるあらゆる演出はそれに奉仕せねばなりません。ゲーム業界で言われるところのナラティヴなどというのは、ロールプレイ重視の考え方でしかない。物語の根本は、やはりドラマです。もちろん、皮相的なドラマは所詮つくりばなしでしかない。唯一性のある物語体験としてのゲームと称して、エピソードの配列をプレイヤーの主体性にゆだねるだけでは良質の物語体験になるわけではないのです。ニコ動における、実況ならぬ劇場型動画が低からぬ評価なのは、たとえ一方向的だとしても人が物語を求めているからに他なりません。そう、人は物語を欲しているのであって、固有の体験を求めているわけではないのです!
――話を戻すと、シナリオ分岐は三つあると聞きましたが、そのうちのひとつのラスボスはなんと体力は1。しかし、回避性能がいろんな意味で高いので攻撃が当たりません。
ゲーム作り初心者あるあるとして、ついついメタなネタを仕込む、ということをやってしまいがちですが、このゲームのメタフィクショナリティは一線を画すものです。
このゲームはスチームで発売中とのことですが、日本語訳の評判がよろしくない。
英文読むのが苦痛でなければオリジナルのままプレイされた方がよいかもですね。
……まあ、こんなもんかな?
あとは『傷物語』と『化物語』ですが、前述のとおり、別のエントリで投稿しようと思います。
*1:ワンコインの棚にピノノワールを見つけ、思わずテンション上がって買ってしまった。比べるのがボジョレーだったのもありますが、やはりタンニンがきめ細かったです。やはりピノ。クオリティとしての美味しさというより、その時飲みたかった赤よりも酸味と渋味が強すぎたので、美味しいとは思えなかった。たぶんマリアージュ次第では美味しく飲めると思います。新世界ワインは手ごろではあるけど、僕の好みから外れるのが多いなぁ……。もっと繊細で淡いワインがあればいいのだけど
*2:キャラクターにおけるツンデレなどのような一種のステロタイプ。それが世界観レベルまで拡張された、属性の集合・パッケージとしてのある種のスキーマ
ブログ書くって難しい
本当は、読書感想文のように形式をかちっと決めて書いた方が、僕も書きやすいんだろうし、目を通してくださる方もわかりやすいんだと思います。
けど、そうした書き方だと、僕の伝えたいことを上手く伝えられないんですよね。
僕の伝えたいこと、というのは綺麗な長方形ではなくて、ぐにゃぐにゃに曲がり太さも一定しない奇妙な図形のようなもので、それを人にあまさず伝えようとすれば、点をいくつか打っていって、輪郭をあぶり出す、という方法でしか伝え得ないもの……なんじゃないかなぁ。
同情すべきか否か:同情という優しさ
いくつか思考しているテーマがあるけども、 その中でもこの問題は、自分の中で消化しきれていないものだ。
というのも、〈震災後ゲーム〉の傑作『CHAOS;CHILD』 の中で百瀬という人物が、
「舐め合いかどうかはともかく、私は、 同情って優しさだと思ってるわよ」
という発言をしていて、 それが僕の胸に引っ掛かって、留まり続けているからだ。
僕は、ニーチェ由来の「同情の禁止」という価値観が脳裏にこびりついていたから、同情否定派だった。
けれど、この台詞を聞いた時、『同情も良い物なのかも……?』と価値観が揺らいだ。
だからこそ、同情の是非についてきちんと思考しなければ、 というのが今回のエントリ。
ーーーくだんの台詞によって、僕の中に残っていたしこりを取り除くべく、思考していたのは近辺だと二か月ほど前だったろうか。
『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』という書籍を読んだ。
ニーチェ―どうして同情してはいけないのか (シリーズ・哲学のエッセンス)
- 作者: 神崎繁
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なぜ『 ツァラトゥストラ』が難しいのかわかったから収穫だったけど、肝心の「どうして同情してはいけないのか」 ということに関しては、 納得のいくロジックを読み解けなくて残念に思っていたように記憶している。
そこからさっきまでの二ヶ月間、特に進展はなかった。
が、アダム・スミスの『道徳感情論』関連で調べていたら、今まであったピースが一気に繋がった。
- 作者: アダムスミス,Adam Smith,水田洋
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それは果たしてどこから語るべきか……
そう、まずは強者の思想からだ。
同情に関して、ニーチェの超人思想と並行して、サド的な解釈もあり得ると思う。
つまり、『同情とは自己愛に他ならず、 そこにいったい他者はいるのか?』ということだ。
サドの作品には他者などいない、 と批判されることがあるようだけど、他者など理解しえない、 という冷徹なリアリズムを追及すればこそ、 容易に他者など描けないことは至極まっとうな意見のように思われる。
しかし、 強者のロジックばかりに耳を貸すのはバランスが悪いだろう。 誰しもが強者でいられるわけではない。
だからこそ、 その困難性に抗おうとする超人志向者に僕は尊敬の念を抱かずにはいられない。
けれども、その 一方で優しさの思想があってもいいと思うのだ。
が、その「優しさ」というものが曲者で、 その問題の核にあるものは、「自己と他者、そしてそれ以外」 の線引きだ。
ウチとソト、と言ってもいい。
まず、人間と認め得るものはその「ウチ」 にあるものだという前提がある。
人の度し難い業ではあるのだけど、「ソト」 にあるものに対して想像を巡らせる、 というのは余程意識しなければ難しいことだ。
根深い差別意識もこれに起因すると見て間違いない。
同情に話を戻そう。
上に引用した「同情って優しさだと思う」ということについて……
強者のロジックからすると、同情というのは欺瞞であり偽善だ。
ハガレンよろしく「やらない善より、やる偽善」 と反論してもいいのだが、それでは平行線だろう。
残念系ラブコメの傑作である『はがない』で、 同級生達に絡まれている小鷹を 「弱いものいじめをするな」 と夜空が助ける場面がある。
そこで小鷹が感謝するとは思いきや、「俺は弱いものじゃない」 と逆に殴られてしまい、殴りあいの喧嘩になるのだが、 これこそ偽善の典型的な例だろう。
「虐げられている弱者を〝救う〟ことは正義である」 というのは一見正しそうなロジックに思えるが、 〝彼ら〟が助けられることを望んでいないということもある。
かつての文化人類学者が〝野蛮〟と見下して、 自民族中心主義的に〝未開主義〟だと断じた誤りにしろ、
新宗教の〝被害者〟を〝救おう〟とすることにしろ、
「救おう」とするその偽善こそが、 被救済者に傷を与えることもある。
心理学的な視点から、ニヒリスティックに見るのなら、 アンダードッグ効果というのもある。脳内の化学反応に騙されているのなら、同情などという〝感情〟にーーいや、〝感情〟そのものに価値を求めること自体、不毛ではあるまいかーー
………………
…………
……
ここで再び問おう。
―――同情という優しさは果たして悪なのだろうか?
ここで、エンパシーとシンパシーという言葉を持ち出してみたい。
いくつかの本やサイトを参照した中で、 端的にまとめているブログがあったので引用すると、
エンパシー(共感)とは、実際に、 打ち明けている人がいる暗い場所まで降りていって、「 それは辛いね。私もそれがどういう気持ちなのかよくわかるよ」 と言うこと。
シンパシー(同情)は、その人と同じレベルに降りていかず、 上から目線で「えー、可哀相」と、 あくまで自分には関係ないというスタンスを取っていることを指します。
http://japanese.yukaripeerless.ca/2016/02/empathy_sympathy/
「エンパシーとシンパシーの違いとは」
『縁もゆかりも Everybody Else Is Already Taken』より
おそらく、ニーチェが否定しているのはシンパシーで、優しさのある〝同情〟とはエンパシーのことなのだろう。
僕は見ていないのだけど、かつて放送されたドラマで『 同情するなら金をくれ』という台詞があったらしい。
魚の釣り方を教えず、魚だけ与える行為の是非はともかく、「可哀想」と〝あの〟視線を向けられるより、金をもらえることの方が確かに理にかなっている。
心の底から〝同情〟していようと、骨身を削る行為にしか、 相手の心には届かない。
言葉だけでは伝わらない。
感謝にしろ、 助けてあげたいって気持ちにしろ、相手の心にどう届くか、 ってことまで含めて考えなければ、 気持ちの共有なんて出来はしない。
人と人とは理解しえないものだ。
けれど
完璧な理解はできないにしても、一歩、 あるいは半歩でも歩み寄ろうとすることは無駄なことなのだろうか、無理なのだろうか?
いや、不可能だからこそ、『通じ合えた!』 って思えた時の感動は大きいのだろう。
しかし、それにはものすごくエネルギーが必要だ。
大切な人でさえ、それが苦痛だと思う時が……思ってしまう時があるというのに、 見ず知らずの、〝画面の向こう側〟 にいる戦災孤児たちにエンパシーなど抱けということに無理がある 。
だからボランティアするな、募金するな、ということじゃない。
それだけ、〈他者〉に対して思い巡らせることが難しい、 ということだ。
ーーーここまでで、エンパシーに価値があることは確認できた。
ならば、シンパシーはどうだろう?
その偽善は、誰かを〝救う〟だろうか。
その優しさは押しつけがましくないだろうか。
僕はここまで考えてみて思った。
偽善をするにしろ、血を流す覚悟を持てと。
無邪気な偽善は恥ずべきものだ。
魂を穢すことすらあり得るものだ。
肉体を傷つける以上に冒瀆的な行為だと、偽善者に気づいて欲しい。 切に願う。
トルネードの人を本気だして支援するよ!
まずはこれを聴いて欲しい。
はたしてお気に召しただろうか。
しかし、その印象はたった106分24秒で覆るッーー!
そう、トルネードの人がトルネードの人と呼ばれるに至った【伝説の始まり】のこの動画だ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26649312
これを観て、少しでも面白いと思ったのなら、そのまま、睡眠時間を削ってでもみることを推奨する。
この動画を……このシリーズを通して見たとき、あなたは確信するーー
これは確かに伝説的な動画であったのだとーーッ!!
http://sp.nicovideo.jp/watch/sm27078706
ここまでくれば、この曲の出だしが伝説の幕開けに相応しいものだとあなたは知っているだろうし、何より期待値を少しずつ、ボルテージを少しずつ上げていくこの曲のサビで
ウィーキャンビィラィアトーーーゥネイッ!
と流れたときに跳ねあがるテンションに、あなたは最大限の快楽を、脳内麻薬の大放出を体感するだろう!!!
そして、少しずつ治まるこの曲のテンションにある種の切なさすら覚えるかもしれない……。
謎の感動ーー
人はそう言う。確かに、よくよく考えてみれば、どうした感動したのかが分からなくなってくるのだが、あなたがトルネードの人の動画に捧げた時間は、それが惜しいと思えるほどに忙しい生活をしているのならばなおさら、きっとその感動は素晴らしいものになるだろう!
そして、サビが流れるたびに、ついついシャウトしてしまうくらいこの曲にゾッコンになるだろう。あなたが、
ウィーキャンビィラィアトーーーゥネイッ
と口ずさむことを夢見て、このエントリを締め括ることとする。
ここまで読んでくれてありがとう。
あなたのトルネード人生に、幸あらんことを!
トルネードは、いつもあなたの心にーーー