思考の揺りかご

あるいは無意識の輪郭を探っていくこと

『月に寄りそう乙女の作法2.2 A×L+SA』朔莉アフターの感想

ネットの感想見るに、朔莉アフターの評価が高くないのがめっちゃ残念。

 

朔莉アフター、ルミネアフター、アトレルートとあって、アフターとしてはルミねえのが一番優れていると思います。でも、演出は朔莉アフターの方が個人的に評価高いです。*1

 

まず、朔莉アフターのEDを観てた方なら分かると思いますが、アフター内では使用されていなかったスチルが出てきます。

 

ED後の後日談で使用されるスチルがEDに出てくる作品もありますが、このアフターはEDが終了したら、そのままタイトル画面に向かうので、これはED自体の演出と解釈できます。

 

アフター内でのやり取りから判断するに、どうやらスチルで描かれているのは、両親のエピソードを元に才華が書いた脚本を朔莉が演じたり指導したり、といった場面だろうとも汲み取れます。

 

ここで、タイトル画面からBGMを鑑賞してみると、その題名が『月に寄りそうの作法』ということも分かります。

これ、すごく重要です。

 

まず、この曲だけ二重鉤括弧であることから、意図的にカッコが付けられています。明らかに作品名を意識していますね。

この曲が用いられているのは上記の通り、朔莉アフターのEDであり、あの演出時に流されたスチルで朔莉が演じていたのは桜小路ルナである、という解釈の妥当性を補強します。

 

もう少し踏み込むなら、遊星から聞いた彼らの学生時代の話を演劇化したもの。

 

そして、作中作の名前を「に寄りそうの作法」とすると、その月を意味するのは何か

 

これは遊星たちの学生時代=無印でも用いられていた象徴ですが、無印だけに与えられた象徴性でないことは、

 

①2.0のメインヒロインであるエストのミドルネームはギャラッハ=月であり、体験版部分では、才華が従者「朝陽」として尽くすことを心に誓います。そしてエスト√のクライマックスでは、あれほど望んでいた才話を自身がステージに立つのではなく、エストを輝かせるために自慢の髪をばっさり切って縫い込んだりと、従者として愛を捧げる対象が、月という象徴によって示されています。

 

②さらに、2.2でもアトレ√において、結ばれた後のピロートーク中に月を眺めながら、兄妹の母親を月に重ねている姿を見れば、愛を捧げる対象、尊崇の念を抱く対象としての象徴が月であることが示されています。

 

以上の点から、無印だけでなく、2.0ひいては2.2においても、月に重ねられる人物とは、尊敬の対象であるといえるでしょう。

 

 

『月に寄りそうの作法』は才華の両親の学生時代の話ですから、無印における月に寄りそう人物、つまり桜小路ルナに寄りそう人物である「私」とはすなわち「朝日」を示すものと判断されます。

 

繰り返しになりますが、EDのスチルを見る限り、朔莉がルナを演じていると解釈出来ますから、当然その相手ーー朝日役は才華と予想されます。

 

とすると、才華は、あれほど敵対意識を抱いていた父親の視点で脚本を書いたと判断されるのです!!!

 

もちろん、才華が話を聞いたのが父親だったから、ということもあるでしょうが、朝日視点で物語を構築するとなれば、もちろん朝日に感情移入しないといけないでしょう。

 

つまり、「世界を全肯定する」と口癖のように使っていたものが、実は言い聞かせているだけで、父親のように本当の意味で肯定できてはいなかったことと同様、口先だけではなく、心の底から父親の立場で物事を考えなければなりません。

 

また、朔莉が脚本を評するわけですから、並大抵のクオリティではボロクソ言われるだろうことは容易に想像がつくので、才華が母親役ではなく、父親を主役に据えた時点で、否が応でも父親に感情移入して脚本を書かなければいけません。

 

果たして、父親の視点で物語を再構成するということ以上に、反発していた父親を受け入れる方法はあるでしょうか?

 

当然、そのようにして生まれた作品は、才華がどのように父親の話を解釈し、再構成したか?というものが直接文章化されないメタレベルで表現されるはずです。(父親の伝聞である以上、純粋な事実ではなく、そこには少なからず父親によるバイアスがかかったものとなります。そしてまた、伝聞形式で知った出来事である以上、才華の中で再構成され、その時点でさらに情報が変形されるばかりか、さらには演劇ーーつまりは物語として提示されることになるため、両親のエピソードはいっそう事実から歪んだものとなります。)

 

しかし、作中作を面白くするだけでなく、才華が話を聞いてどう解釈したか?父親をどう受け入れたか?というのをライターが表現するのってものすごく難易度が高いものだと思うんですよね。

 

それに、このファンディスク自体シナリオのボリュームがカツカツみたいなので、作中作を描いていたとしても中途半端になったと思います。

 

だとすれば、演じているところを直接描くよりも、EDの演出として提示していたからこそ、僕らは各々理想的な『月に寄りそう私の作法』について想像を膨らませることが出来るのではないでしょうか?

 

そんなわけで、『月に寄りそう乙女の作法2.2 A×L+SA』朔莉アフターはもっと評価されるべきだと思います!!!

 

 

 

 

 

 

*1:アトレルートは個人的に一番評価低い。

孤立無援になって、「朝日」の部屋で過ごすまではすごく面白かったけど、結局才華は成長しないままだし。

しかも、紹介動画を観るにこのシナリオのウリはアトレーーつまり実妹と結びつく過程なはずだけど、前半部分に筆を割きすぎたせいで後半が尻すぼみになって、衣装製作のカタルシスがあまりない。

インセストものとしても中途半端。才華の設定ーー女装した父親にしか性的魅力を覚えないーーから考えるに、アトレに発情するというのは倫理的な正しさはともかく、論理的には妥当と言える。しかし、結局、才華がアトレ好きな理由とは、外見的にも内面的にも「女体化した父親だから」でしかない。

つまり、父親の代替品。だったら、「父親を認める」という『2.2』全体を通してのテーマからしてもーー人を選ぶかもしれないけどーー遊星ルートにすべきだったと思う。(テーマは他にも「言い聞かせるのではなく、ダメな部分を含めた自己肯定」「作品づくりは楽しんで」というものがある。)

作品紹介動画に話を戻すと、アトレルートのコンセプトは、アトレと結ばれる過程。だけど、変にインセストを意識したせいで、微妙になってしまったように思う。

結ばれてからはどことなく明るくて、閉塞感が感じられないから、頽廃とは名ばかりで、インセストものの勘どころを外してしまっている。

アトレルート前半部分の孤立無援までの描き方は、本編で他人を舐めていた才華がこれでもかってほど追い詰められた分、本編を食いかねないほど面白かったが、後半の失速感や、シリーズ全体の脚本を補強するためのシナリオではなくあくまで人気のサブヒロインを攻略したルートでしかなかったという点が残念でならない。