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思考の揺りかご

○○教の総本山(笑)

『さくら荘のペットな彼女』を布教するよ!

 

さくら荘のペットな彼女 (電撃文庫)

さくら荘のペットな彼女 (電撃文庫)

 

 

僕の私淑する饗庭淵さんとペトロニウスさんの二人が揃ってこの作品に否定的だったのは悲しい。

 

饗庭さんに関しては、純粋に生理的なものだから仕方ない。


僕だって、『AIR』や『Rewrite』のルチア√を再プレイしろ、と言われたら顔をしかめる。


しかし、物語に耽溺して生きる〈典雅の決裁者〉ペトロニウスさんがこの作品を否定してしまうのはあまりに惜しい……そう思わないではいられない。


好き嫌いの範疇だから仕方ないんだけど……あの方は忙しいし、他に堪能すべき作品があるだろうから、押し付けるわけにはいかないけども……


でも、一巻目を読んで『つまらないと切って捨てる気はないが、なんか読んだ時間を返してと思うくらいにあまりに平凡で凹む』と評価を下していたのが引っかかる。*1

 

後述するが、確かに、ダイナミックな、骨太な物語ではないし、ミクロに大きな魅力があるかと言われるというと正直弱る。

 

色彩でたとえるなら、鮮烈な紅というより、それこそ桜の花びらのような淡い桃色と言わんばかりのキャラクター造形だ。記号的といってもいい。

 

それでも、この作品を、時間削って読んで損をした、と傷ついたままなのは、作品にも可哀想だし、この物語を堪能できないまま生涯を閉じるのも勿体ないと思う。

 

羹に懲りて膾を吹くではないけれど、以前ネットで、時間価値の落差についてたしなめられたことがあったから、ペトロニウスさんに直訴することは躊躇われる……まあ、直接言うんじゃなくてセミパブリックな自分の敷地で言う分には……構わないよね? ネチケットを体系的に学べるところがあればいいのだけれど……

 

 

さて、この作品の見どころ――それは断じて天才の描かれ方にあるわけでない。

 

鴨志田一氏の作風*2のひとつに、「天才と凡人の対比、ひいては才能を題材に取り上げる事が多い。」*3が挙げられているが、実際は、肝心の天才に関して、奇行は目立つが凄みに欠ける、と評さねばならないだろう。


たとえば、森博嗣真賀田四季野崎まどの登場人物、『SWANSONG』の尼子司、『ハチクロ』のはぐちゃんを並べてみれば、その天才性が霞んでしまうのも頷ける。そこに『どんちゃんがきゅ〜』の佐藤俊夫を挙げてもいい。

 

 

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M

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know

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ハチミツとクローバー (1) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

ハチミツとクローバー (1) (クイーンズコミックス―ヤングユー)

 

 

 

 

さくら荘のペットな彼女〈5〉 (電撃文庫)

さくら荘のペットな彼女〈5〉 (電撃文庫)

 

 

彼ら彼女らに比べれば皮相的な天才だーーそう言いたくなるのもわからないではない。真賀田四季が〈強い天才〉だとすれば、この作品に出てくる天才は〈弱い天才〉と言うことも出来るだろう。

 

たとえば、〈弱い天才〉を象徴するエピソードは、五巻の中で、登場人物のひとり三鷹仁によって語られる。


「そう、無茶苦茶だ。だから、あいつ*4はひとりだった。

 

でも、そんなひとりぼっちの宇宙人のことを、中学の担任がずっと気に留めていてくれたんだよ。

 

頭真っ白で、『仙人』って呼ばれてたじいさんの先生でさ。殆どの教師がさじを投げる中で、あの人だけは、最後まで美咲と向き合ってくれてたと思う。

 

スイコ―*5は、その仙人が勧めてくれたんだ。

 

『残念だが、上井草。この小さな街には、宇宙人であるお前の仲間はいないようだ。

 

だがな、この学校に行けば、地球に流れ着いたお前の仲間がいるやもしれん。この水明芸術大学付属高等学校を受けてみないか?』ってさ」*6

 

 

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

 

 

美咲の奇行は、言ってしまえばハルヒ的な承認欲求――私はここにいる――によって突き動かされた慟哭のようで、それを端から見れば、あまりにも痛々しく感じられるのは確かだ。

 

『他者など意に介するなど軟弱すぎる!   天才は強くあるべきだ』――そう見る向きもあるだろう。

 

『社会や常識といったハンマーに打たれてなお出つづける才能こそ素晴らしいものだ』なんて思想の人が不満に思うのは自然ともいえる。

 

が、そうではないだろう?

 

〈弱い天才〉だろうと天才は天才だ。

 

その才能によって産み出された作品は人類全体で共有した方が遥かに有意義なのでは、と僕は思う。

 

仮に、その作品が万人受けしないものであったとしても、〈強い天才〉では描けない風景がそこにあると、僕は確信している。

 

もしも、凡人エリートが天才様に出逢ってしまい、結果アイデンティティが崩壊していく辛さ苦しさを――圧倒的な才能の前に絶望し、屈するさまを観たいのなら、それこそ『SWANSONG』をやっていればいい。


しかしそうではないっ……そうではないのだ!


この作品の美点は、凡人の在り方なのだ!


淡々とした語り口だから、切実さが伝わりにくく、劇的な物語を好む人からすれば、一見退屈に思えるかもしれない。


けれど、そんなのは所詮、自己陶酔にすぎない。脳内麻薬に支配され、快楽に溺れているモルモットにすぎないのだ。


ーーしかしこの作品は違う。


さくら荘のペットな彼女』は、創作行為を通して、天才と付き合っていくこと――ひいてはコミュニケーションとは何か、ということが掘り下げられた傑作なのだ!


天才に頭を垂れるんじゃない。いかな天才だろうと彼らもまた人間なのだ。


福沢諭吉は云った。『天は人の上に人を作らず』と。


多様性を容認する社会――そのひとつである現代日本において、人は生まれながらにして等しく人権を持つ。


確かに才能にしろ環境にしろ、平等ではないかもしれない。*7

 

しかし、出る杭打つにしろ、頭(こうべ)を垂れて靴を舐めるにしろ、そんな生き方はあまりに醜い。


なればこそ。

 

天才と対等に付き合っていこうとすることは果たして傲慢だろうか?

 

ゆえに僕は断じよう。叛逆王の威信にかけて喚き散らそう。

 

この作品は傑作だ!

 

 

*1:http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110111/p2

*2:この作品は読みさしだし、他の作品は未読だからネットの受け売りになるけれど

*3:http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%B4%A8%E5%BF%97%E7%94%B0%E4%B8%80 ニコニコ大百科より

*4:ヒロインのひとり上井草美咲のこと。解説のためにwikiを見たらとんでもないネタバレを見た! 割と目立つように書かれてあるから、調べるときは要注意!!

*5:主人公たちの通う学校のこと

*6:現在、手元に五巻がなく、以前、書き抜いた文章をそのまま引用しているため、原作そのままの文章になっているか不安だが、大意はそれていないはず

*7:その格差をどう減らすかについては言及を避ける