思考の揺りかご

あるいは無意識の輪郭を探っていくこと

これ、めっちゃ気になってます!

 

最後にして最初のアイドル (ハヤカワ文庫JA)

最後にして最初のアイドル (ハヤカワ文庫JA)

 

 

第4回ハヤカワSFコンテストで特別賞を受賞した作品だそうで、元は『ラブライブ!』の登場人物の「にこにー」こと、矢澤にこ*1を主人公にした二次創作のSFを改稿したものなんだとか。

 

最近ちょうどラブライブを観直してるところなので、この作品めっちゃ気になります。

 

発売してから期間を開けずにレビュー書きたいなあ(願望)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:https://youtu.be/E3H9RxiHo48

 

アイちゃん、にこ好きすぎて草生える

『月に寄りそう乙女の作法2.2 A×L+SA』朔莉アフターの感想

ネットの感想見るに、朔莉アフターの評価が高くないのがめっちゃ残念。

 

朔莉アフター、ルミネアフター、アトレルートとあって、アフターとしてはルミねえのが一番優れていると思います。でも、演出は朔莉アフターの方が個人的に評価高いです。*1

 

まず、朔莉アフターのEDを観てた方なら分かると思いますが、アフター内では使用されていなかったスチルが出てきます。

 

ED後の後日談で使用されるスチルがEDに出てくる作品もありますが、このアフターはEDが終了したら、そのままタイトル画面に向かうので、これはED自体の演出と解釈できます。

 

アフター内でのやり取りから判断するに、どうやらスチルで描かれているのは、両親のエピソードを元に才華が書いた脚本を朔莉が演じたり指導したり、といった場面だろうとも汲み取れます。

 

ここで、タイトル画面からBGMを鑑賞してみると、その題名が『月に寄りそうの作法』ということも分かります。

これ、すごく重要です。

 

まず、この曲だけ二重鉤括弧であることから、意図的にカッコが付けられています。明らかに作品名を意識していますね。

この曲が用いられているのは上記の通り、朔莉アフターのEDであり、あの演出時に流されたスチルで朔莉が演じていたのは桜小路ルナである、という解釈の妥当性を補強します。

 

もう少し踏み込むなら、遊星から聞いた彼らの学生時代の話を演劇化したもの。

 

そして、作中作の名前を「に寄りそうの作法」とすると、その月を意味するのは何か

 

これは遊星たちの学生時代=無印でも用いられていた象徴ですが、無印だけに与えられた象徴性でないことは、

 

①2.0のメインヒロインであるエストのミドルネームはギャラッハ=月であり、体験版部分では、才華が従者「朝陽」として尽くすことを心に誓います。そしてエスト√のクライマックスでは、あれほど望んでいた才話を自身がステージに立つのではなく、エストを輝かせるために自慢の髪をばっさり切って縫い込んだりと、従者として愛を捧げる対象が、月という象徴によって示されています。

 

②さらに、2.2でもアトレ√において、結ばれた後のピロートーク中に月を眺めながら、兄妹の母親を月に重ねている姿を見れば、愛を捧げる対象、尊崇の念を抱く対象としての象徴が月であることが示されています。

 

以上の点から、無印だけでなく、2.0ひいては2.2においても、月に重ねられる人物とは、尊敬の対象であるといえるでしょう。

 

 

『月に寄りそうの作法』は才華の両親の学生時代の話ですから、無印における月に寄りそう人物、つまり桜小路ルナに寄りそう人物である「私」とはすなわち「朝日」を示すものと判断されます。

 

繰り返しになりますが、EDのスチルを見る限り、朔莉がルナを演じていると解釈出来ますから、当然その相手ーー朝日役は才華と予想されます。

 

とすると、才華は、あれほど敵対意識を抱いていた父親の視点で脚本を書いたと判断されるのです!!!

 

もちろん、才華が話を聞いたのが父親だったから、ということもあるでしょうが、朝日視点で物語を構築するとなれば、もちろん朝日に感情移入しないといけないでしょう。

 

つまり、「世界を全肯定する」と口癖のように使っていたものが、実は言い聞かせているだけで、父親のように本当の意味で肯定できてはいなかったことと同様、口先だけではなく、心の底から父親の立場で物事を考えなければなりません。

 

また、朔莉が脚本を評するわけですから、並大抵のクオリティではボロクソ言われるだろうことは容易に想像がつくので、才華が母親役ではなく、父親を主役に据えた時点で、否が応でも父親に感情移入して脚本を書かなければいけません。

 

果たして、父親の視点で物語を再構成するということ以上に、反発していた父親を受け入れる方法はあるでしょうか?

 

当然、そのようにして生まれた作品は、才華がどのように父親の話を解釈し、再構成したか?というものが直接文章化されないメタレベルで表現されるはずです。(父親の伝聞である以上、純粋な事実ではなく、そこには少なからず父親によるバイアスがかかったものとなります。そしてまた、伝聞形式で知った出来事である以上、才華の中で再構成され、その時点でさらに情報が変形されるばかりか、さらには演劇ーーつまりは物語として提示されることになるため、両親のエピソードはいっそう事実から歪んだものとなります。)

 

しかし、作中作を面白くするだけでなく、才華が話を聞いてどう解釈したか?父親をどう受け入れたか?というのをライターが表現するのってものすごく難易度が高いものだと思うんですよね。

 

それに、このファンディスク自体シナリオのボリュームがカツカツみたいなので、作中作を描いていたとしても中途半端になったと思います。

 

だとすれば、演じているところを直接描くよりも、EDの演出として提示していたからこそ、僕らは各々理想的な『月に寄りそう私の作法』について想像を膨らませることが出来るのではないでしょうか?

 

そんなわけで、『月に寄りそう乙女の作法2.2 A×L+SA』朔莉アフターはもっと評価されるべきだと思います!!!

 

 

 

 

 

 

*1:アトレルートは個人的に一番評価低い。

孤立無援になって、「朝日」の部屋で過ごすまではすごく面白かったけど、結局才華は成長しないままだし。

しかも、紹介動画を観るにこのシナリオのウリはアトレーーつまり実妹と結びつく過程なはずだけど、前半部分に筆を割きすぎたせいで後半が尻すぼみになって、衣装製作のカタルシスがあまりない。

インセストものとしても中途半端。才華の設定ーー女装した父親にしか性的魅力を覚えないーーから考えるに、アトレに発情するというのは倫理的な正しさはともかく、論理的には妥当と言える。しかし、結局、才華がアトレ好きな理由とは、外見的にも内面的にも「女体化した父親だから」でしかない。

つまり、父親の代替品。だったら、「父親を認める」という『2.2』全体を通してのテーマからしてもーー人を選ぶかもしれないけどーー遊星ルートにすべきだったと思う。(テーマは他にも「言い聞かせるのではなく、ダメな部分を含めた自己肯定」「作品づくりは楽しんで」というものがある。)

作品紹介動画に話を戻すと、アトレルートのコンセプトは、アトレと結ばれる過程。だけど、変にインセストを意識したせいで、微妙になってしまったように思う。

結ばれてからはどことなく明るくて、閉塞感が感じられないから、頽廃とは名ばかりで、インセストものの勘どころを外してしまっている。

アトレルート前半部分の孤立無援までの描き方は、本編で他人を舐めていた才華がこれでもかってほど追い詰められた分、本編を食いかねないほど面白かったが、後半の失速感や、シリーズ全体の脚本を補強するためのシナリオではなくあくまで人気のサブヒロインを攻略したルートでしかなかったという点が残念でならない。

首絞めハム太郎に首ったけ!

https://youtu.be/zdneuijW_70

 

ルナちゃん可愛いですよね!*1

 

昨日、友人が口にしていた「ときのそら」ちゃんの動画観るところから始まって、何人かバーチャルユーチューバーの動画観てみたんですが、一番ルナちゃんの動画が好きです。*2

 

「首を絞めたハム太郎」とも形容される独特な声が特徴的で、畳み掛けるようなベシャリは何度同じ動画を繰り返し観ても飽きません。

 

一つあたりの尺も短いため気軽に観れるのもポイント高く、

「おはよー!こんちわー!こんばんわー! おやすみー!おきてええええええええ!!!」

と基本テンション高いので、観てると元気もらえます。*3*4

 

シロイルカ*5キズナアイ*6の動画も観ましたが、あの子たちは投稿数多すぎて追いかけるのちょっとしんどいですよね(^^;

 

投稿ペースは出来れば週三、遅くても週一を目標としてるようです。*7

 

今年の抱負はチャンネル登録者数50…もとい100万人とのことなので、少しでも「良いな!」と思ったらポチって上げてください。*8

 

 

 

p.s.

 

https://mobile.twitter.com/MikaPikaZo/status/943791247893786624

 

(型月信者で有名なノッブこと島﨑信長も反応してて草。)

*1:外見とかキャラももちろん良いけど、手の動きがめっちゃ可愛い!!!

*2:ウザかわ、なんて言われてるけど、「いやいや普通に良い子でしょ」と僕は言いたくなる。

*3:しかも高いテンションで喋りつづけた後の、ノリツッコミ時のギャップはズルい。

*4:「クリボッチなのぉ?w」と煽ってくスタイルな割に、夢は「みんなを笑顔にできるYouTuber」だったりと、可愛らしいとこあるのもポイント高い。

*5:声可愛いけどTPS時にポロリする物騒な言動のギャップが良い。

*6:動画のバラエティに富んでいてコンテンツとしても面白いところがポイント高いのは言うまでもなく、くるくる表情変わるのも魅力的。

*7:https://youtu.be/ZJinxt-wui0

*8:同上

『つり乙2.2 アルプラザ』クリアしました。

 暫定評価:☆☆☆★(3.5/5.0)

 

 

二日前にクリアしたのですが、いまだに余韻冷めやらず。

 

レビューをひとつのエントリとしてまとめるのが難しいため、朔莉アフター、ルミネアフター、アトレ√のそれぞれについて、近いうちに上げたいと思います。

 

ざっくりとした感想。

 

【アトレ√】

今回ルートロックかかっていたシナリオです。出来は、『2.1 エスパル』収録の前日譚『つり乙0』と比べてしまうとどうしても見劣りしてしまうのが残念でした。

 

シリアスなインセストものとして描かれているのが特徴的で、単にアトレといちゃつきたいだけだと不満かも。

 

本編での時系列的には、各ヒロインのルートに突入できず、女装していたことが山県先輩とジュニア氏にバレてしまった後の話。

 

攻略サイトでノーマルエンドと表記されていたあの結末と微妙に異なるようで、バレてしまうとこまでは同じでも、そこからさらに分岐したシナリオになります。いうなればアブノーマルエンド。

 

個人的に評価に困るのが、インセストもの自体は好きなのですが、この系統のシナリオとして良かったかどうか、クリアして二日経った今も判断しかねるんですよね。

 

もしかしたら、アトレルートのエントリだけ、かなり遅れることになるかも。

 

 

【ルミネアフター】

本編で才華に振り回されていたルミねえが、姉として振り回していて、その関係性の変化が楽しかったです。山県先輩の過去についても触れられています。

 

詳しく書いてしまうと、ルミネアフターのエントリで書くことがなくなってしまうのであまり多くは書きませんが、アフターものとして、満足度は高いものでした。僕がルミねえ好きというのもあるけどね!

 

【朔莉アフター】

一番気に入っているのは、EDの演出。後日譚をスチル数枚で描いていて、すごく妄想が膨らみます。

 

もっとシナリオのボリュームを増やして、そこを描いて欲しかったという気持ちと、むしろシナリオとして描かれなかったからこそ良かったのだ、という気持ちとがせめぎあうくらい、心憎い演出でした。

 

 

パッケージ全体として、「買って損した」「買わなければ良かった」とまでは思わないものの、フルプライスで、しかもFDを分割する、というのは正直印象良くありません。

 

かといって、『つり乙0』のような分かりやすいカタルシスが用意されているわけでもないですし。

 

しかも、アトレルートでは重要な役であるはずの紅葉のボイスが無いのも気になります。

クレジット表記にはキャスト名があったので、出演してない、ということはないでしょうけども、修正パッチあててもしゃべらないんですよね、彼女。

 

ひとまず、アトレルートの評価づけを定め、エントリに出来たらよいなと思います。

今日は何の日?

美少女ゲームの日です!

皆さんは何を購入されましたか?

 

僕はもちろん『月に寄りそう乙女の作法2.2 A×L+SA!!』。

 

ご飯食べてうつらうつらしていたら、インターホンが鳴りました。

「○○配達です。アキバソフマップさんからです」

僕はご主人が帰って来た時の仔犬のごとく玄関にダッシュした。

 

 

そう、届いたんですよ!  あのゲームが!

自室に籠もってゲームをせず、こたつでゴロゴロしていたのは移動の手間を減らすため!計画通りだったのさ。たぶん。

 

 

さて。

いい加減このシリーズ終わってくれ…と前作の2.1で思ったものですが、ルミねえのFDじゃ買うしかないよね!  ーーたとえ今月の書籍代のほとんどを使い果たしたとしても。

 

 

個人的には、エイプリールフール企画の1.1がゲームとして収録されたことをパッケージで知って、驚きつつも嬉しくなったりしたのですが、2.2の本編クリアしてからじゃないと解放されないってどういうこと!?  

……どういうこと?

 

 

ええ、そうですとも。2.0の再プレイ終わってないんです。どうせなら、エスト√の途中で1.1の動画を見て、そのままエスト√をクリアし、それからサクリ√とルミねえ√をやろうと思ってたんですが。間に合わなかったよ……。

 

 

睡眠時間は頑張って削っているのだけどね!

FGOのクリスマスイベもあるし、時間が足りない!

 

 

クリスマスイヴになったら、エレちゃんがカルデアに来てくれるようもう一度祈願(まわ)すんだ……。

 

 

もしもエレちゃん来たら、FGO一部七章のレビュー書く。

2017年12月の目標

とりあえず、数日以内に『化物語』のエントリは書きあげたい。

 

それから、『ねじまき鳥クロニクル』は最低限読み切りたいし、『つり乙2FD2』のために、『つり乙2』のルミ姉√と朔莉√をクリアしたいし……てか、今調べたけど『つり乙2FD2』ってアトレ√あるのか! いや、どうなんだこれ…。たぶん、アトレが朝陽好きなこととか、才華に協力することの起源にまつわる話があるんだろうなーとは思うけど、もういい加減このシリーズ畳んで欲しい…面白いんだけどさ! でも、シリーズの新作出るたびに買わなきゃいけない気がしてくるこのビョーキは、自分じゃどうしようもないので本当やめてほしい。それに、つまらなかったと失望するのは嫌だし。とはいえ、シナリオ安定してるから楽しみだなあ。さすがに『つり乙0』を超えるカタルシスは難しそうだけど…。

 

あとはFGOか。終局のシナリオ、まだ読んでないけど、ねじまきとつり乙2だけでいっぱいいっぱいなんだよなあ。かといって、1.5部やる気分でもなし。クリスマスイベント次第で変わりそうな気がする。ああ、そうだ、一部の六章、七章のレビューはあげたい。

劇場版『傷物語』一気に観ました。

 

 

 


 

尺   ☆☆

テーマ ☆☆☆☆

余韻  ☆☆☆☆☆

 

www.youtube.com

 

 『化物語』上下は高校生の時に読んでいたのですが、それ以降は読んでいませんでしたし、アニメも後回しにしていましたが、友人が流してきた上記のMAD観てたら無性に観たくなったので、FGOのセイレムやってる友人の傍らで観てきました。

 

 『化物語』よりも時系列的には前の話。こよみヴァンプ、という副題が示す通り、これは阿良々木暦の起源にまつわる物語です。 この前にテンポの良すぎる動画を観ていたため、一章は正直、冗長に思えました*1。でも、三章まで観たらもう本当やるせなくてね…。

 

 大まかな流れとしては、高校に入ってから勉強についていけず、友達もつくらない男子高校生が、四肢を切断された吸血鬼の美女と出会い、死ぬつもりで身を差しだしたら、彼女の眷属にされ、代わりに四肢を取り戻すために吸血鬼ハンターたちと戦うことになり……というもの。

  

 

  暦くんって、『fate/stay night』の主人公・衛宮士郎とやっぱり似ている部分ありますよね。 ただ、暦くんの方が共感しやすいと思います。

 

 もちろん、士郎の在り方……もっと言えばエミヤの在り方が美しい、というのは分かるんですよ。 あのパセティックさってすごく胸が締めつけられます。士郎の起源、というか在り方の核って大別すれば三つ(セイバー含めれば四つですが、それについては今回省略)あるんですよね。

 

 ひとつは、あの地獄のような中で、切嗣に助けられたこと。助けたのは切嗣だったはずなのに、誰より救われたような顔をしていたのは切嗣だった、という描写は幾度となくリフレインされています。

 

 次に、なぜ自分は生き残ってしまったのだろう、という一種の罪悪感。いわゆるサバイバーズギルトってやつですね。 あの時死んでいたのは自分だったかもしれない。なのに自分は救われ、日常を生きている…。

 …士郎が、自分が幸福を享受することは間違っている、とまで考えていたかはわかりませんが、この罪悪感から逃れたい、という切実さは痛いほどわかります。

 

 そして三つ目は、身体も心もボロボロになっていた切嗣が、幼い士郎に語ったこと…正義の味方になりたかった。期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ。そんなこと、もっと早くに気づいていればよかった。

 それに対して士郎は返します。だったら俺がなってやるよ、と。その後、切嗣は静かに息を引き取ることになります。

 これ、すごく綺麗なエピソードなんですけど、同時に呪いめいていますよね。約束を守ろうとしようと生きる。 しかし、正義の味方になることって、切嗣が行き着いていたように、不可能なんですよ。原理的に。誰かを救うという事は、誰かを救わないことを選択するという事。全員は救えない。じゃあ、救えなかった人たちは蔑ろにしていいの?と。

 

 また、『fate/stay night』で突きつけられる、正義をなすには悪の存在が必要だ、という指摘。 なぜ正義の味方になりたいのか? ――救われがたい自分を救いたいから。

 そう、切嗣にせよ、士郎にせよ、自己救済の手段として正義の味方になろうとするのですよね。 そしてさらに、士郎の場合は、切嗣の夢に憧れて、という側面があるので、自己救済を果たすための生き方としては、より歪んでいるんですよね(歪でありながら美しいもの、というのは存在します) 。自分の問題と向き合わずして、たましいの救済はありえない。それをこれでもなく抉ってくるのが言峰神父です。 正義の味方はかっこいい。しかし裏には自己救済を果たしたい、というエゴがある。

 

 けれど、たとえエゴが裏にあるとしても、エミヤや切嗣のように、ひとつの信念を頑ななまでに守ろうとする在り方ってすごく美しいですよね。 なまじ手段が間違っているだけに、目的が果たされず、打ちひしがれる……そういうパセティックさに僕は非常に萌えます。それまでの努力が報われることそのものではなく、打ちひしがれながらも信念を貫こうとする在り方がね。。。すごく心をかき乱されるんですよね。マゾヒスティックですが。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、そんな士郎くんに比べると、暦くんの在り方って、よりエゴが剥き出しになっているんですよね。 〇〇したい、とか、自らに立てた誓いを遵守するというプラスの意味合いではなく、見て見ぬふりをすることができない不器用な生き方です。だからこそ人間らしいのですけども。

 『化物語』なんかでも、「お人好し」というフレーズが何度となく出てきますが、それってちょっと違うと思います。 彼は、優しいから人助けをするんじゃない。人が困っているのを見て見ぬふりをすることができないから、人助けをしようとする。 お節介、余計なお世話、ありがた迷惑。他人を想うから動くのではなく、自分がそうせざるを得ないからそう動く。 もちろん、救われた彼女たちは感謝しているため、「お人好し」と暦くんを見るのですけども、本質ではない。

 

 そんな、「お人好し」の暦に共感するかどうかはさておき、誰にでもあると思うのですよね。 間違っていると分かっていてもやめられないこと。 もっと冴えたやりかたがあるとは知っていても、とってしまう不合理な行動。 それでも、生きていこうとすれば、そんな自分と付き合っていかなくてはいけない。そんな自分を変えようとすることは、非常に難しい事です。 限りなく不可能に近い。頭でわかっている程度じゃ、とてもなおすことはできません。年単位、もしかしたら一生かけて日々変えていこうと努力しつづけなければ。 ――たった一日二日でなおるようなものではありません。それ故に、自分を変える、というのは難しい。海の波を消すことくらいには。

 

 えっと、『傷物語』に話を戻します。

 キスショットが四肢を取り戻し、次は暦が人間に戻る番、となった時、祝杯を上げるために買い出しに行き、帰ってくると、彼女が人間を食べていました。 そう、吸血鬼とはまさしく鬼。血を吸うだけでは飽き足らず、人を食する生き物だったのです。

 ここで暦は気づきます。 吸血鬼ハンターたちは、人間側の正義だったのだと。 良かれと思ってキスショットを助けたわけですが、彼女が生きるということはすなわち、誰かが彼女に食べられてしまうということ。 彼女を生かすことは、誰かを殺すことなのだと。 その誰かが、大切な人だったとしても、暦は文句を言えない。家族だろうと恋人だろうと友達だろうと。彼らを殺すことを選択したのは他ならぬ暦なのだから。

 キスショットを生かすのは、美しくはあっても、正しくはなかった。 それでも彼はキスショットを殺すことができませんでした。たとえ、そこに関わった人たち全員が不幸になる選択だったとしても。 暦は完全な人間に戻れず、人間は吸血鬼に殺されるリスクを背負い、キスショットは死なない程度に、ペットが去勢されて飼われるように、限りなく吸血鬼の力を奪われる。 全部、暦のエゴです。それを自覚しながらも、「人助け」をせざるを得ない。見て見ぬふりができない。度し難いほどに愚かでも、不合理でも、そうしなくては「いけない」。

 

 これを業といわずして何と呼ぶのでしょう。 しかしそれを誰が咎めることが出来るのでしょう? 暦は「人助け」、という業(カルマ)を持っていましたが、かたちが違うだけで、程度が違うだけで、誰だって持っているはずなのです。 それが社会的に許容できる範囲ならば、目立たない程度ならば問題とはされないでしょう。

 しかし、反社会的な、道徳にもとる、法律から逸脱してしまうカルマを持って生きていかざるを得ない人たちは、どうすべきなのでしょう?

 異常だから排斥されなければいけないのでしょうか。 ただ、常識の枠内に収めきれないものをかかえているだけなのに?

 「一般的な人」は、自らの業が常識の範疇にあるだけで、カルマそのものは誰しも抱えているのに? 社会的な正しさを笠に着て、相手を見ようとしないことが人間的であるというのなら、そんなヒューマニズムこそ間違っていると、僕は思います。

 

 最近、物語はなぜ――作家にとっても読者にとっても――必要とされるのか?という問いを立てていくつかの本を読んでいて、このカルマ、というのはすごくキーになる気がするのですよね。僕は実存を、生きがいというニュアンスで捉えていましたが、不合理でありながらもとってしまうような行動、思考、習慣というものもあるのかもなあ、とこの作品を観て思いました。

 

 

 

 並行していくつか読みながら、行きつ戻りつしながら読んでいるので、どうしても個別のレビューというのが難しいので、ついついブログの更新が滞ってしまいがちですが、出来るだけ言語化していきたいです。

 

*1:バトルシーンはすごく好き。ピッチングでやっつけるところは燃えるべきか笑うべきか反応に困りました^^;)